アクティブラーニングの中でも注目を集めるPBL、日本での普及を通して子どもたちに学ぶ楽しさを伝え「学びから始まる教育改革」の一翼を担うことをめざします。

リレーコラム「PBLと私」全掲載

リレーコラム「PBLと私」 全掲載

 

リレーコラム「PBLと私」 2009.11.14

第0回 水谷 昌弘(株式会社C&EP代表取締役社長)

10年前、某教育企業の社員だった私は社長の「公教育の民間支援を考えなさい」の指示に何をすればいいのかが分かりませんでした。以前聞いたことのある「チャータースクール」。まあちょっと見てこようと出かけたアメリカ、それがすべての始まりでした。最初の視察では12日間で20校近くを訪問、その中でもう一度行きたい学校が、その後10回以上も訪れるとは思いもしなかった、ミネソタニューカントリースクール(MNCS)でした。折しも日本では総合学習誕生前夜、前の会社のそんなに狭くはない講堂でのセミナーでは全国から溢れるほどの先生方が集まられる頃でした。MNCSを「全部が総合学習のよう な学校」と紹介していました。(教育的知識が当時は全くないことが露呈しますが・・・)2001年そんな雑駁な私の解説でわざわざミネソタまでご一緒くださったのが上杉理事長です。教育制度については、諸先生に学びましたが、PBLの素晴らしさ(自分の直感の正しさ)を再認識したのも、コンテンツとしてのPBL、上杉先生からのご指導からです。

毎年のミネソタ詣、NPOの設立とPBLの紹介活動を続けてきました。そろそろ次のステップに踏み出そうと思っております。

 

 

リレーコラム「PBLと私」 2009.12.31

第1回 土岐 玲奈 (千葉大学大学院)

私がPBLに興味を持ったのは、かねてからのファンであったGACKTさんのおかげだと思っています。GACKTさんというと、大河ドラマでの上杉謙信役や、ここのところはバラエティなどで目にされた方も多いかも知れません。

私は、かねてからGACKTさんの「追っかけ」を自認していて、高校生のころから海外の公演まで追っかけていました。そのGACKTさんは、しばしば「退学者の多い学校をつくりたい」と言っていて、それに共感していました。「退学者の多い学校?」いぶかる方もいらっしゃると思いますが、  真意は次のとおりでした。目的も目標もなく通う、ただの通過点としての学校になんて意味がない。そうじゃなく、「自分は一体何がしたいのか、そのためには何が必要か」といったことが考えられて、  目標が見つかったら、卒業なんて待たずに外の世界に羽ばたいていける生徒を育てる学校をつくりたい!学校に通っている子どもが、自分のやりたいことのイメージを、どんどん膨らませて、それに向けて自分で道を切り拓いていくという理想像。直感的に、これってPBLに近いものがあると思いました。しかし、そのためには学校へ通い続けていてはダメだというGACKTさんの考えとは違い、それができる環境を学校内に整えてしまったのが、ミネソタニューカントリースクールじゃないか!そんなことを感じながら参加した今年の視察ツアーは、楽しくも充実したものとなりました。

GACKTさんに導かれた出会いに感謝しています。そして、私もまた自分のやりたいことのイメージがどんどん膨らんでいます。現在の私は、もっともっと実践現場を見て、関わっていきたい!という思いに駆られています。

 

リレーコラム「PBLと私」 2010.3.2

第2回 天野 一哉 (ジャーナリスト/星槎大学准教授・法政大学兼任講師)

イソップ童話に「狐と鶴」(本来は狐とコウノトリ)というお話があります。狐が鶴に、皿に注がれたスープをご馳走しますが、鶴は嘴なので上手く飲めません。後に鶴は壷に入ったスープをご馳走して仕返しをするというお話です。一般的にこの物語の教訓は「意地悪なことをすれば同じことをやり返される」という類ですが、私は「人それぞれ、得意なスタイル(やり方)がある」と解釈しています。

私は学校に児童生徒として通っているころは、あまり勉強が好きではありませんでした。しかし、受験や大学のころは、けっこう嫌いではありませんでした。現在も自分の立てた企画を取材執筆する仕事を楽しんでやっています。

ミネソタでPBLを知ったとき、自分の仕事の方法と同じじゃないかと驚きました。生徒たちは皿でも壷でもコップでも自分に合ったものでスープを飲んでいました。スープだけではなくジュースでもコーヒーでもパスタでも、おいしく身になれば何でもいい。

日本の学校はみんなに同じ皿で同じものを食べさせようとする。まさに先生たちはイソップ童話の狐と化してしまっているのです。でも、みんなが壷やコップを使いだしても仕返しとは思わないでほしいですね。

 

リレーコラム「PBLと私」  2010.4.3

第3回  関根 正洋 (静岡県立伊豆総合高等学校教諭)

先日行なわれた「PBLフェスタ2010」に参加し、各チームの熱心な発表を楽しみながら聞かせていただきました。プレゼンの部のグランプリに輝いた千葉中学の発表は圧巻で、『中学生でもここまでできるのか』と驚きました。

本校の生徒は、ポスターセッションの部に参加し、この4月からスタートした伊豆総合高校と伊豆の観光スポットを紹介しました。発表した内容はともかくとして、準備の段階では生徒たちは、実に楽しそうにやっていました。ほとんどの部分を生徒たちだけで進めており、「本校の生徒でもこれだけ一生懸命になれるんだ。」ということが分かり、うれしくなりました。

当日は、大勢の人々の前でのプレゼンに慣れていないため、たどたどしい発表ではありましたが、生徒たちは「ともかくも最後までやることができ自信がついた。」、「来年はもっと時間をかけてさらによい発表をしたい。」と言っています。このように協同して課題に取り組む経験を通して、課題を解決する力やコミュニケーション能力などの社会に出てから必要な力がついてくるのだと思います。

私の在籍する高校と近くの高校が合併し、4月から伊豆総合高校となりました。この新高校にPBLを取り入れるために、私は上杉先生のもとで半年間研修をさせていただき、また上杉先生には生徒と教員向けにPBLのオリエンテーションをやっていただきました。新高校の開校を機にぜひPBLを取り入れ、生徒にとことん追究する楽しさを実感してもらいたいと思います。

また、地域の期待を担ってできた高校ですので、PBLによって培われた力で地域に貢献できる人材を育て、地域に信頼される学校を目指していきたいと思います。

 

リレーコラム「PBLと私」  2010.5.10

第4回 高井 健太郎 (グリーン・ヒルズ中学校)前編

グリーン・ヒルズに赴任して、1年が経ちました。

私自身は、市立小・中学校、県立の進学校、千葉大学教育学部・同大学院教育学研究科と典型的な国公立コースを歩みました。さらには、生活科・総合学習が始まる前の世代である私が、なぜ教員採用試験を受けずに、私立校のグリーン・ヒルズで働いているのでしょうか。

それは、学部1年生の上杉理事長とPBLとの出会いから始まります。 学部での所属は、中学校の数学科の免許を取ることを主とする専攻で、プロジェクト学習とは一番親和性の低い教科でした。しかし、授業初日の5時限目にその出会いは待っていました。理事長が担当する「現代教職論」です。その日のテーマは「チャータースクール サマリー」。今、振り返っても、かなりぶっ飛んだテーマでのスタートだと感じますが、それだけにインパクトが残っています。

その授業の最終レポートが、大勢の長期研修生(千葉県には、現職教員の職務を1年間免除し、大学等で研修させるという素晴らしい制度があります)をアドバイザーにしたミニプロジェクトだったのです。そのレポート作成に熱中しすぎたあまり、他の授業のテストをすっぽかし(寝坊し)、単位を落としたという話は今回初めて公開するナイショ話です。

1年生のその当時は、PBLという名称は登場していませんでしたが、教職授業の1つの中で、運よく理事長とPBLと出会うことができました。次号に続きます。

 

リレーコラム「PBLと私」  2010.6.6

第5回  高井 健太郎 (グリーン・ヒルズ中学校)後編

前号では、学部1年生のときの上杉理事長とPBLとの出会いまでを書きました。

その後しばらくは、上杉理事長とのつながりが切れており、2年生の年末にゼミの選択についての相談をしに、1度研究室を訪問した程度でした。3年生の前期に4週間の教育実習を経験しましたが、何となく不全感が残ったまま実習を終えました。その後期には、「道徳教育」という授業で理事長と再会しましたが、大学の授業へのモチベーションが低い時期で、ギリギリで単位を取得したため、理事長の道徳教育論は残念ながらあまり入っていません。その後、2007年のアメリカ視察から帰国した直後に理事長の研究室に相談に行って、自分の思いを話した際に聞いた一言の「よかったら、うちの研究室に来ないか」、これが殺し文句となり、大学院進学を決意しました。

大学院進学後は、自分なりのプランを持って、様々な時間の使い方をしました。中でも、9ヵ月間にアメリカ2回、北欧1回の現地視察をしたことは何物にも代えがたい経験になりました。

また、理事長との出会いから、研究所の立ち上げを目撃し、その中で得た様々なつながりから、縁あってグリーン・ヒルズの教員募集の話があり、就職するに至りました。

グリーン・ヒルズ中学校では、昨年度末の新年度準備の中で、フリースクール時代を通じて初となる教育課程のマイナーチェンジを行うことになりました。その中で、プロジェクトの授業も年間1プロジェクトというスパンから、1・2学期に各1プロジェクトというショートスパンのプロジェクトを行うことになりました。2ヶ月かけてじっくり決めてきた1学期のプロジェクトは、クラシック曲をメドレーへとアレンジするチームと楽器作りを行うチームに分かれて活動する“音プロジェクト”に決まりました。残り2ヶ月の活動で、子どもたちがどのような学びを行うか“学びの同行者”として目撃できることが楽しみです。グリーン・ヒルズでの2年目のトライアルが始まり、早くも2ヶ月が経ちました。私のPBLへの“感染熱”を子どもたちに伝えられる1年になるよう努めたいです。

 

リレーコラム「PBLと私」  2010.7.5

第6回 市川 洋子 (盛岡大学准教授)

ミシシッピ川を渡ると、ミネソタニューカントリースクールはもうじきです。この川を渡るたびに、今年も戻ってきたなあと思います。PBLとの出会いは8年前に遡ります。まさか、私の人生を大きく変えてしまうとは、その当時思いもよりませんでした。帰途につく空港で、同行した佐柳さん(毎日新聞社)の「プロジェクトはいつ頃から始まったのですか?」というひと言が呼び水となって、疑問符が次から次へと押し寄せてきました。一つ一つ解決していくのに8年という月日が経ってしまいました。

今年の3月に、「中等教育におけるエドビジョン型PBLの有効性に関する研究」という峻険な山脈を越えました。「青年期の発達」と「中等教育環境」の適合性という視点からエドビジョンモデルをみつめ、このモデルが日本の中学生においても有効といえるのかを実証的に検証していくという行程でした。途中、何度もあきらめかけましたが、私のプロジェクト・アドバイザーであるロン・ニューウェル氏(エドビジョン)、ディ-・トーマス氏(MNCSの校長)をはじめとする多くの方々に助けていただきながら、ようやく着地することができました。着地点は、なぜか岩手県にある私立大学でした。若い人たちに、PBLを経験、理解してもらうには絶好のポジションです。そして、また新たな疑問〔頂〕が見え隠れしています。これはもう、とことんつきあっていくしかありません。

 

リレーコラム「PBLと私」  2010.8.11

第7回 佐柳 理奈 (元毎日新聞記者)

学んだことを地域や仲間に還元する。PBLの素晴らしさは、ここにある。 生徒自身の探究心にとどまれば単なる自己満足になりかねない周囲とシェアすると途端に公共性に発展する。2004年の米国視察ツアーに同行し、ミネソタニューカントリースクールの生徒の発表(シニアプロ ジェクト)を見て、公共性に軸を置いているところが最も印象に残った。「未来に活きる教育の姿がある」と自信をもって言えるのは、公共性まで考えているからだ。

私生活でも自己流プロジェクトを試みている。旬の素材と季節感を大切にした食事メニューを1冊にまとめる「365日わたしの食卓」プロジェクト。一日分に見開き2ページを充て、左ページは写真付きの料理レシピ、右ページは材料や料理にまつわるミニ知識(文化的な側面や歴史など)を盛り込む。料理は、家庭での学びを刺激する絶好のフィールド。最近は個室よりもリビングで勉強する子の成績が伸びているというので、料理に学びの要素を多く取り入れれば、家庭教育に役立つのではないかと考えた。日常的に料理を始めて、まだ2年なので5年くらいかけて本にする予定だ。小学生のいる子育て世代に役立つ内容に仕上げたい。

ところで、このプロジェクトを思いついたきかっけは、医療費の抑制。生活のキホンとなる食事を見直すことで健康を保ち、長い目で見た医療費抑制につなげようというのが目的だ。もともと病院に通っていないので、個人的な医療費抑制効果は表れていないものの、「食」は楽しいことがよく分かった。みなさんも家庭でPBLをやってみませんか。

 

リレーコラム「PBLと私」  2010.10.1

第8回 横山 小夜子 (NPO法人‘お~ぷん・どあ’プロジェクト)

「その子がその子らしくあるように」と「好きなことを心ゆくまで」の二つが、私の子育てのテーマだったので、PBLの事をきいたとき、学校でこれができるなら、さぞ楽しいだろうなあ、とうらやましく思ったものだった。

私自身は絵を描くことが大好きだったのに、母親から「絵なんか描いてないで勉強しなさい」と叱られて大きくなったので、絵を描くことは悪いことだと長く思ってきた。大学は、自分が一番苦手な化学分野に進み(これも、母親から、「苦手を克服しろ」という、呪いをかけられていて選択した)、挫折して、ゼミを移り、1万個の貝を採集し統計分析をして、やっと卒業にこぎつけたのだった。

その後、小学校補助教諭を振り出しに4つの仕事を転々とした。そして、2005年、新しい学校づくりをめざす‘お~ぷん・どあ’プロジェクトというNPOを友人たちと立ち上げたのである。

当初の3年間は、フリースクールを運営した。重度重複障害の高校年齢の子どもが二人入学してきて、試行錯誤を繰り返しながらも、そのときも、上記の2つのテーマが私の心の中にあり、子どもたちの「好き」を引き出すことに集中し、教科横断学習を進めたが、同時にもっと理論的な裏づけがほしいと思っていた。

フリースクールを閉じた後、その理論の柱を何にするか勉強中に、2008年夏のPBL研修でディー・トーマスと山田(当時の代表)・笹田(現在の代表)が出会って、「PBLはいいよ、これを勉強して実践しよう」と方針が決まった。

もとより、私に、異論はなかった。2009年、NPOでPBLの模擬授業を企画し受講し、日本PBL研究所の八ヶ岳夏合宿に参加、秋にはアメリカ視察研修に参加、2010年春からは千葉大大学院科目等履修生となり上杉先生の授業を受けるに至るのだが、このすべてが「好き」を軸にしているから、面白くてしょうがない。2010年は、NPOで、PBLを使って夏休みの自由研究に取り組んでみた。8人の小学生がそれぞれ自分の好きなテーマで生き生きと活動したので、とても楽しかった。

学校と言う場所を用意できる日まで、 PBLの家庭教師派遣を展開しながら、教師としての力量をつけ、PBLのよさを広げ、仲間を増やして行きたいと思っている。

さて、上記のテーマで育てた子どものうち、積み木・折り紙・ミニ四駆加工・木工工作が好きだった子は14歳でうつ病になったが、好きなことを思い出せたので病気を克服して工業高校建築科に進学した。

半年から1年で興味が少しずつ移っていくので何が好きなのかなかなかわからないでいたもう1人の子は(しりとり→あや取り→縄跳び→紙芝居作り→刺繍→陳列整理→泥団子作り→漢和辞典読みなどが好き)「小2で不登校してたから、九九がよくわからん」と言いながら「好きだから」と数学科に進学した。彼は、10年間に3回不登校を繰り返していた。学校に戻すのは無理かな、と考えていた私は「この子の好きを生かせる仕事は何だろう」と観察を続けていた(陳列整理にはまっている時には、コンビニのアルバイトを一生続けるのも、幸せかも、と考えたりしていた)ので、今後が実に楽しみだ。

私は、というと、実は、この2年で1枚しか絵を描いていない。17年ぶりに、地域づくりをやっているNPOでアルバイトを始めたのと、新たに、浦安にプレーパーク(冒険遊び場)を作る会の代

表を引き受けて忙しくなってしまった。プレーパークとは子どもの自発的な遊び(火を焚いたり、穴を掘ったり、水を流して運河を作ったり・・・)を保証する公園。それこそ、心ゆくまで、子どもが遊べる場所だ。ここで、好奇心を育て、ケンカをして人間関係を豊かにし「生きてるって楽しい」と感じることは、PBLと繋がると思うのだが、果たして。

 

リレーコラム「PBLと私」  2010.11.11

第9回 川瀬 信一 (千葉大学大学院 教育学研究科 院生)

「キミは、子どもにどうなってほしいのか」

大学院でカリキュラム開発を専攻する私が、学部時代から指導教員に投げかけられ続けてきた問いである。自身の根本的な教育理念に対する問いに、長い間私は明確な答えを見つけられずにいた。

これまで、私は多様な子どもと関わってきた。虐待や経済的な理由から、一時的に児童相談所に保護され生活する子どもや、学校に行かず、そのことにより自分を肯定することができないでいる子ども。方や、参加費10万円は下らないキャンプに毎年参加する、教育熱心で裕福な家庭の子どもや、子ども科学教室で、ノーベル賞受賞者を前に研究成果を堂々と発表する、探求心溢れる子ども。同じ日本に生まれながら、子どもたちの生活/学習環境の差異を実感した。一方で、どんな環境に置かれている子どもたちでも、共通していることもあると感じた。それは「子どもたちはみな、成長したがっている」ということ。成長するためのエネルギーが前面に出ている子もいれば、複雑な事情が重なって、奥に潜んでしまっている子どももいる。どのような状況であっても、何かきっかけを得れば、必ず前に進むことができるはずだ。そのためにすべきことは、子どもたちにとってチャレンジングな環境を準備することではないか。…だが、具体的にどのような方法があるのだろうか。

昨年晩秋、上杉先生に「こ~んなでっかいステーキを食べに行かないか」と誘われたのがPBLツアーを知ったきっかけだった。ステーキに釣られたわけではなく、「アメリカの学校を見たい!」と思い、参加を決めた。PBLツアー2010は、私にとって非常に大切な時間となった。学校が持つ雰囲気、学生の様子、カリキュラム、校舎の造り…それぞれの学校はどの面からみても個性的で、新鮮だった。学校がこんなにも多様性に富んでいることに驚きを感じた。その一方で、訪れたどの学校にも共通して感じたことが二つある。

一つは、出会った学生の多くが、自分の学んでいることに自信と誇りを持っていたこと。ある学校で、「何故民主主義の国であるアメリカで、自分が受けていた教育は民主主義ではないのか」という問題意識から、「アメリカの教育システム」をテーマにプロジェクトに取り組んだ高校生と出会った。彼は1000ページに及ぶレポートを執筆し、将来は政治家として教育政策に携わることを志すようになった。現在は議員の下でインターンをしているという。自身のプロジェクトについて語る彼の表情は自信と希望に満ちていた。彼のように、プロジェクトの先に、自分の将来を明確に描く学生と多く出会うことができた。

もう一つは、学生とアドバイザーが深い信頼関係で結ばれていたこと。ある学校で、評価委員会と呼ばれる、単位を認定するためのミーティングの様子を見る機会があった。プロジェクトに対する自己評価とアドバイザーの評価が統合されて、単位が認定される。しかも、外部の我々が立ち会えるほどのオープンなスタンスで。アドバイザーは、日本の教師のような「成績を付ける」といった立場には立っていないようだった。「教える→教わる」の関係では成立しない評価方法だ。アドバイザーは学生の可能性を信じている。学生はアドバイザーのサポートに信頼を寄せている。訪れた学校の人間関係は、私には理想的なものに見えた。

「自身にとって重要なテーマを探究し、そのことによって自信と誇りを持つ。そんな学びのスタイルに、一人でも多くの子どもたちが出会えるような社会にしたい」まだまだ漠然としているが、PBLツアーに参加してから、そんなことを考えるようになった。―そのために、今私ができることは何だろう。

PBLツアーを終えて、帰国後すぐに始めたことがある。それは、私が家庭教師として関わっている高卒生と、一緒にプロジェクトを立ち上げることだ。彼は県内有数の進学校に在籍していたが、不登校ののちに中退。将来の目標も、今やりたいことも見失っていた。そこで私は、一緒にプロジェクトをスタートさせることを彼に提案した。今はプロジェクトのテーマ設定に向けて準備をしている。最近、少しずつ自分のことについて話してくれるようになった。

一人ひとりの個性としっかり向き合うこと。アメリカで目撃した光景を絵空事にしないためにも、まずはここから始めようと思う。PBLと出会った今なら、これまでとは違った方法で、子どもたちと関わることができるはずだから。

 

リレーコラム「PBLと私」  2010.12.10

第10回 児浦 良裕 (株式会社 ベネッセコーポレーション)

PBLの思想・活動から日本の教育が最も学ぶべき点は、学校経営者・教職員・学習者全てが「Self-Directed」で「オーナーシップ」を持っているという点である。(と私は思う。)

PBLでは「学校教育内容」や、生徒の学習内容を強制していない。そこには「Self-Directed」「オーナーシップ」の思想が根底にあるからだ。

では、日本の教育において「Self-Directed」「オーナーシップ」のある教育を実現するためには何が必要なのだろうか?

私は、まずは教職員の「Self-Directed」「オーナーシップ」のある教育活動を可能にし、そのための「環境整備」と「教員支援・育成」に力点を置くことが重要ではないかと考える。

つまりは、教員自身のPBL実施促進とそのための環境整備を行うことだ。教員が高いレベルの学習者となれば、生徒の模範となれるし、プロジェクト学習の指導者として生徒の学習を導くことが可能となる。

特に、教員志望者は大学時代から様々なテーマでプロジェクト・ベース学習を何度も行えるようにして、教員としてのSelf-Directed、オーナーシップを持てるような環境にしたい。

そのための環境整備を大学や教育関連機関が徹底的にサポートするべきである。大学(教育課程)や教育機関が連携しPBLリーダー・センターのような機関を開設する。そして、教員の卵を大学時代から育成し、教員となってからも継続的に支援・育成する。そのような機関を開設する必要がある、と私は考える。

また、PBLの背景にある「アメリカ」にも言及しておきたい。今の私に「アメリカと言えば思い出すことって何?」と言われたら、「『年齢関係なしの生涯学習社会』を思い出す!」と言うだろう。

社会人でも学生も、誰しもが当たり前に「学習」している。そこに大きな違いはない。そして、自己成長をするために、「Self-Directed Learning」がごく当たり前に行われている。自由と自己責任を大切にする国なだけあって、自己成長、自己教育も個人に任されており、そのための環境整備に力を入れている、という印象だ。

9月の視察では、17年ぶりにニューヨークの地へ降り立った。明らかに何かが違う。町全体がキレイで明るくなった。普通に地下鉄に乗れることが信じられなかった。(というか、昔は写真なんて撮れなかった!)やはり「9・11」から立ち上がり、市民全体で動いたことが大きかったのか?ニューヨーク市全体の荘大な「プロジェクト」がそこにあった、と私は強く感じた!

一方で、日本は元気のない「消費・受身社会」が加速しているような気がする。教育の世界では「成長」や「教育」が教員や親の責任にされすぎており、消費者的教育サービスばかり過剰に発達し、教育環境の整備が著しく後進的であると感じた。いかに、「消費者から生産者へ」「受講者から学習者へ」「元気で誇りを持っている日本人」に切り替えていくか。

解決策は幾つかあるだろう。教育の世界では、教職員が積極的に「プロの学習者」になることが重要だろう。そのための環境整備も当然必要だ。また、家庭では保護者が「生産者」「学習者」へ切り替わることも必要となるだろう。現在、日本企業でも多くの仕事が「プロジェクト型」で進められている。大学でも「研究」や「ゼミ」という名の「プロジェクト型」で学習を進めている。要は、「人生はプロジェクト」なのである。よって、日本の初等中等教育でも「PBL」が必要であることは自明である。今後、自分のやるべきことは何か?

私は幾つか考えたことを実行するのみである。

 

リレーコラム「PBLと私」  2011.1.7

第11回  松金 千紘 (千葉大学教育学研究科 修士1年)

アメリカに行く前まで、あまりPBLについて知識がなかったのですが、帰ってきてからは授業で扱っているということもあり、PBLのよさについて考えることがありました。アメリカで見てきた学校のあの落ち着いた雰囲気や、子供たちがのびのびと自分の学びを追及できる環境と日本の学級はなにが違うんだろと。

そこで、最近考えたことがあります。アドバイザリーグループの中で作ることのできる人との関係性がすごく大切なんだろうと思います。PBLを行うときに親しみの感じる人数というものを大切にしているということがあります。視察した学校でも、みんな家族だから、わからないことがあったり、できないことがあっても誰かが助けてくれたり、自分が助けたりするという話を聞きました。この人間関係を作ることが学びを楽しくする大切な要因なのではないかと思います。たまたま茂木健一郎さんの本を読んでいて、アドバイザリーグループとつながったことがあります。

安心できる場所があって挑戦できる。学びが楽しいと思えるのは、少し挑戦した時だ。安心できる場所を作り上げているのがアドバイザリーグループで、自分で挑戦してみようと思えるのがプロジェクト、なのではないでしょうか。だから、PBLで学んでいる子供たちはあんなに楽しそうに自分のプロジェクトを進めていけるのだろうなと思いました。この話は大学院で自分のプロジェクト(修論)を進めている中、学んだことです。自分の中でいろいろな情報がつながってくる感覚がとても楽しく、学びの楽しさを私自身実感しています。いずれPBLを支えられる教師になれるよう自分自身の学びをこれからも楽しみながら、PBLについてもっともっと理解を深め実践につなげられるようになりたいと思っています。

 

リレーコラム「PBLと私」  2011.2.2

第12回 森田寿(尚絅学院中学高等学校教諭)

「総合的な学習の時間」の主要な柱にPBLを位置づけて、2年が経とうとしています。おもに高校1年と高校3年の冬季に実施しています。1年目は、企画書を書くことで時間の大半を使ってしまった生徒が多く、設定したゴールに到達できない生徒が多数おりました。

そのため2年目の今年は、中間報告会を開いて進み具合をチェックし、行きづまった生徒へのアドバイスを丁寧に行うことにしました。上杉先生・市川先生にも助言者として仙台まで来ていただき、多くの有益なアドバイスをいただきました。

なかでも、「今,プロジェクトを進めていて,困っていることや悩んでいることは何ですか」という問いが、PBLを進めていくキーポイントであることを学びました。なぜキーポイントなのかということは、現在の私にはまだ説明できませんので、詳しくは上杉先生のブログ「PBLで次世代は育つ」の1月30日の記事(M先生への手紙)を読んでもらいたいのですが、この問いが発されてから、生徒の姿勢が受動から能動に変わったことは明らかです。PBLという学習方法の基盤にある価値観や哲学をしっかり学ばなければ、見えてこない部分が大きいということを実感させられました。    次年度から、「総合的な学習の時間」の一部だけではなく、学校設定科目として高校1年から高校3年まで、カリキュラムの中で授業時間をとって開講します。各学年での目標や展開、評価方法なども準備中ですが、PBLの基盤を学ぶことこそしっかりしないと、生徒は楽しく活動したとしても、どのような学力がついたのかが分からなくなる恐れがありますので、「学校・学習のエンジンとしてのPBL」として定着できるようじっくりと計画・実践したいと考えています。

 

リレーコラム「PBLと私」  2011.3.4

第13回  野口桂子(星槎大学 准教授 社会学担当)

あれは確か、7-8年前のことだったでしょうか。 友人で、現在は同僚でもある天野一哉先生のお誘いで、地方都市の学校視察に加えていただき、1-2泊ご一緒させていただいた時、団長の上杉先生とお初にお目にかかりました。 それから数年のインターバルをはさみ、2008年、東京で行われたエドビジョン・セミナーをはじめ、2009年、2010年のPBL米国視察、2011年シンガポール視察と3回の視察に参加させていただきました。PBL研究所が企画してくださる企画の素晴らしいところは、たくさんあります。以下に整理してみます。

1.PBL研究所のネットワークのお陰さまで、他のどの企画にもない視察先にご案内くださいます。

団長の上杉先生、水谷さんはじめ、研究所のご関係の皆様が、海外の教育関係の方々と日頃から連絡を密になさり、貢献してくださっているからこそ、私たち「知りたがり、観たがり」の参加者が、その国の、教育現場そのものを拝見でき、現地の皆様と交流して参ることができます。

2.視察中、色々な立場の参加者の方々と、多くの視点から意見交換をさせていただけます。参加者の中には、日本の現役教員の方、企業の方、大学教員、千葉大学やその他の大学の大学院生、学部生の方がいらっしゃいました。それぞれのお立場から、異なる興味をもって参加されているので、おのずと自分の視野、興味も広がります。また、私は、社会学を専門としていることもあり、老若男女、幅広い方々と食事やお酒の席などで、リラックスしてお話会えることが、何より有難く、また楽しいことなのです。

3.視察先で報告書を書く担当が決まっていて、帰国後に提出することになっていることで、良い緊張感を生んでくれますし、オリジナルの貴重な記録を共有することになります。自分の担当の視察先の下調べは特に入念にすることになります。事前に視察先のホームページを拝見して、質問事項も用意していきます。すると私たちは、積極的な気持ちで視察させていただけるようになるのだと思います。報告書を書くことで、参加者である私たちも、少しずつPBLに貢献させていただいていると思えるのは、有難いことです。

4.視察の経験は、私たちの仕事に直接役立つことも多いのです。 たとえば私は2011年発行の、星槎大学・紀要「共生科学研究」にミネソタニューカントリースクールの報告書をより詳細なものに改訂して、「現地調査報告」として掲載していただくことができました。また、この春出版することになった教育関連の本の最終章にミネソタニューカントリースクールの紹介を掲載することにしました。

PBL研究所の活動を通して、私が頂いた一番のプレゼントは、同じ興味や問題意識を共有する仲間たちとの出会いです。誰もが惜しみなく各自のもつ情報を提供してくださるばかりでなく、年齢などは関係なく、本音を言い合える友達になることができました。私の人生をこんなにも豊かにしてくださっているPBLに感謝しています。そして、PBL研究所のご活動を、これからも幅広く広報していきたいと思います。

 

リレーコラム「PBLと私」  2011.5.19

第14回 笹田 彰子 お~ぷん・どあ・プロジェクト(浦安市)

2008年のサマーセミナーで、ディー先生から直々に話を聞く機会があり、ずっと探していたものに出会って、もやもやしていた霧が晴れていくように私はPBLにのめり込んでいった。

娘さんの不登校で困っている友人に、PBLをお~ぷん・どあからの家庭教師という形で受け入れてもらった。彼女(娘さん中2)の興味の一番大きなものはアイドルグループ“嵐”だった。嵐のプロジェクト学習はトントン拍子に進み、週1、2時間を5回終え、6回目には第1回目のプレゼンテーションを友人やその親御さんたちの前で堂々とやってのけた。参観者は驚き、発表者は満足した。 ところが次のプロジェクトのテーマを見つける段階になって大変困ったことになった。嵐への関心が強すぎて他のテーマに取り組めないのだ。何とか昭和の時代をテーマにして学習を進めていったが、のりが悪い。昭和の時代を描いた映画を取り上げようとしたら、嵐のメンバー全員が出演している映画を見つけてきてしまった。私は内心、また嵐に戻るのかと焦った。

「三丁目の夕日の方がいいんじゃない?」と言った途端もう彼女の我慢は限界に達してしまった。もうしたくないんだなと思った頃、彼女がお父さんと図書館で借りてきた“ジャニー喜多川の戦略”という本に出会った。いっしょに読んでみると面白くて、読み終える頃にはアイドルに夢中になるだけだった彼女がアイドルを育てる視点を持てるようになっていた。

『そうか、嵐でいいんだ』とその時ストンと腑に落ちた。その瞬間彼女との垣根がサッと溶けてなくなった。と同時に、彼女は嵐のファンから嵐のプロデユーサーに変化していた。彼女の頭の中の世界では、嵐のメンバーにどんな役をやらせてどんなドラマにするのか、どんなイメージでポスターを作り、何を歌わせるか、次々にアイデアが浮かび、自作の嵐情報誌ARASHIチャンネル(毎週木曜日発刊)には最新の嵐情報とともに自作のシナリオが載せられている。

この時に私は苦しんだけど中々よくやったなと、自分でも認めることができる。あのストンと腑に落ちる体験が私を納得させるのだ。私はつくづく傲慢な教師だったと思う。(新採で小学校を2年経験)あの頃は指導書に従って時間に追われながら教科書を消化して行くうち、教師が子どもを教え導くんだという構図がいつの間にか身について行った。『そうか、嵐でいいんだ』とは、とことん子どもに任せていいんだと悟った瞬間だった。

子どもの笑顔は輝き、脳みそは100%活性化し、身体にエネルギーが満ち溢れる。やりたいことが多すぎて時間があっという間に過ぎていく。自分の時間が充実していることに自信が持てる。彼女はもう止まらない。どんどん成長していく。

子どもの興味関心から出発するプロジェクト・ベース・ラーニングを自分なりに取り組んでみたいと始めた実践だったが、ご両親の協力、こだわりの強い娘さんの特徴があっての成果だと思う。が、私にとってのこの経験はこれまで磨り減り続けた教育への夢をすっかり挽回してしまった。

 

リレーコラム「PBLと私」 2011.7.10

第15回 竹内 延彦  (長野県企画部次世代サポート課)

もう7年ほど前のこと。私は教育NPOのスタッフとして、PBLの聖地ミネソタ州ヘンダーソンにある、ミネソタニューカントリースクールとエドビジョンを訪ねました。ジャーナリスト大沼安史さんの著書から「チャータースクール」を知ったのが約10年前。日本でもそんな学校が実現できた

らという熱い夢を多くの教育関係者たちと共に抱き、今日に至るまで、学校制度の多様化を目指した様々な活動に参加しています。

米国で最初にチャータースクール法が誕生したのが1991年のミネソタ州、ちょうど20年前です。しばしば日本社会は米国から30年遅れていると言われますが、とすれば、日本でチャータースクールが誕生するのは2021年、ちょうど10年後かもしれません。

30年前の日本といえば、学校に行かない子どもたちは登校拒否または学校不適応と呼ばれ、主に子どもや家庭に原因がある問題行動であると認識されていました。しかし1992年、当時の文部省が示した「不登校は誰にでも起こりうる」というガイドラインを境に、徐々に「必ずしも子ども自身に問題があるだけでなく、学校システムそのものにも問題ある」「子どもが学校に不適応なのではなく、学校が子どもの状態に不適応なのだ」という考え方が広まりつつあります。

まだまだ十分とは言えないまでも、不登校に対する認識が大きく変化したように、今後日本の学校制度も必ず抜本的に変革され、教育そのもののあり方も、学校中心から学習者(子ども)中心へと変わっていくものと私は期待しています。

PBL(Project-Based Learning)は、まさにそんな“学校(国家の統制)中心の教育内容”から“子ども(個人の成長)中心の学習内容”への変革であると、ミネソタを訪れ私は感じました。

根本的な学校制度の改革を実現するためにも、教育プログラムからの改革を地道に続けることが重要なステップであり、PBLを実践する教師や、PBLで学ぶ子ども達によって、着実にその道は拓かれていくことと信じています。

私は、この4月から地方自治体において子ども教育行政に携わるようになりましたが、いま、このタイミングで行政の内側に入ることができたことをとてもラッキーだと感じています。

なぜなら、10年前でも10年先でもなく、これまでの10年とこれからの10年の繋ぐこのタイミングこそが、日本の教育制度が大きく転換する分かれ道だと感じているからであり、あらためて多様な子どもたちと一緒に自由な学びを求める声を強める必要があると思うからです。

NPO法が成立したのは1998年。特区制度ができたのが2002年。この10年余りの間に、日本でも多様な教育のあり方を求める市民の動きが、一歩一歩着実に前進しています。

その間、私はPBLをはじめ、欧米や日本での教育改革に向かうエネルギーを感じることができ本当にいい経験をさせてもらったと思っています。これから10年後、さらには30年後の子ども達が、学ぶ幸せを実感できる日本社会をイメージしつつ、PBLの故郷ミネソタに、また近いうちにぜひ訪れたいと願っています。

 

リレーコラム「PBLと私」 2011.8.16

第16回 菊地 聖子  公立小学校教員(千葉県)

私がPBLに出会う前、ある伏線がありました。

ちょうど総合的な学習の時間が移行期のこの年に校内の研究主任となりました。私は少しでも多くの情報をインプットしようと、さまざまな学者の本を読んだり研究会に参加したりと躍起になっていました。そんな中、上杉理事長が当時主宰していた総合のセミナーにも初めて参加しました。  セミナー終了後、駅まで送ってくださる車の中で、「“総合”とは、ひと言で言うとズバリ何ですか?」という上杉理事長の問いに対して、このセミナーの講師であった現・奈良教育大学教授・安藤輝次先生がおっしゃった言葉が、「人の役に立つこと」でした。当時の私には、この言葉の意味がよくわかりませんでした。「え?総合って、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え~とあるように、主体的な学びがメインじゃないの?」

しかし、数年後出会ったPBLの企画書の中に、次の設問を見つけて驚きました。「このプロジェクトは、周りの人にとってどんな役に立ちますか?」これは、前に安藤先生がおっしゃっていた言葉と同じではないか。つまり、総合もPBLも、主体的な学びは自分の成長のためにももちろん大きく寄与するけれど、それを発信していったもう一つ先では、社会や他の人にも貢献するものである・・・と、この時私の中で、総合とPBLがぴったりと結びついたのでした。以来「人の役にも立つ総合」は、私の中では総合の定義となり、この定義をいつも念頭におきながら、小学生たちと総合のいろいろな単元に取り組んできたところです。

3月の大震災後に、ある避難所で大人たちを元気づけようと、小学生が手書き新聞を発行するようになったというニュースを聞きました。これは、子どもたちが総合で学んできたツールを、自然に今の生活の中に生かそうとした結果ではないかと確信しています。「新聞を読むと元気が出てくる」という大人たちの言葉に、きっとこの小さな編集者たちは自分たちが役に立った充実感を味わうことができたでしょう。そう思った時、4年前に訪れたミネソタニューカントリースクールで、自信に満ちた表情で訪問客に自分の考えを述べている生徒たちの顔を思い出しました。

ここ数年、私は「小学校におけるキャリア教育」の個人研究と総合の追跡調査をしています。

「小学校におけるキャリア教育」は、10歳前後の子どもなりに未来の自分を想像し、その自分に近づくために今できることを考え実践する、といった内容です。PBLの学習過程をその形のまま実践しているとはいえませんが、ゴールを設けて、その時々の自分と向き合ったり周囲の人とかかわったりしていくPBLのスピリットは踏襲していると自負しています。またPBL実践時は、“子どもの活動に同行”しながらも、“教師としての自分のPBL”をしているような感覚をよく持ちます。

子どもへの支援(指導)を通して、自分もまたプロジェクトを進めていることを感じるのです。

総合の追跡調査は、おもに大学生を対象に、小中学校時の総合で学んだことや情意面の聞き取りをしています。学んできた内容に差があることは否めませんが、「総合で得たこと(人によって違う)が今も役立っている」と答える学生は多いのです。このように、総合では後々活かせる力を育むことができることがわかりましたが、アメリカでのPBLは、「その人の生き方をも左右するキャリア教育そのものである」と、上杉理事長は明言しておられます。

日本の総合的な学習の時間が、PBLのように子どもたちがいろいろな人とかかわり合いながら個々の生き方に結びつく学びとなることを今後もめざしていきたいと強く思っています。

 

リレーコラム「PBLと私」 2011.12.1

第17回 大木 恵美子 公立小学校教員(千葉県)

今夏、八ヶ岳での「PBLサマーセミナー2011」(後半の1泊2日)に参加させていただきました。宿泊を伴った八ヶ岳の研修は7年ぶりでしたが,おいしい空気と青々とした山,そしていろいろな分野から参加されている方々との楽しい会話や熱心な教育議論はあの時と同じ,懐かしさとPBLのよさを改めて実感し,充実した研修となりました。

そもそも私がPBLと出会ったのは,平成16年度の長期研修生として上杉先生の研究室でお世話になったことからです。この年の2月にアメリカMNCSから来日した生徒のプレゼン,その

後,ミネソタ(学校視察)での夜のプレゼンも参観させていただき,とても衝撃を受けました。「PBLってなに?」「日本の教育とどうすりあわせていったらいいの?」「具体的に総合学習ではどのように取り組んだらいいのだろう?」とずっと考えていた一年間でした。

実は,今回のセミナーへの参加は,時間が作れたことともう一つ理由がありました。今年度受け持っている児童の授業時や生活における目に余る態度の悩みです。これまで出会ったことのないタイプの子供の指導について何かヒントはないかと思っていました。そして今回の研修で出会ったキーワードが「仮想的有能感」です。キャリア教育の話題の中である方が出された言葉でしたが,その時はよく意味が分からなかったので家に帰ってネットや本で調べてみると「誇大自己症候群」という関連した言葉もあり,まさに私の悩みのもととなる症状がそこに書いてありました。しかしPBLは,それに対応できるだけの要素をもった学習法だとも思いました。なぜならば,自己の成長を目指した自己評価や社会貢献を欠かせないものとし,自分の好きな課題を存分に追究できるからです。つまり,好きな体験をもとにした達成感を味わったり,社会や人とのかかわりをもったりすること,自分を客観視できる力を養うことができます。そうすることにより,より現実的に見通し,より根拠のある言動がとれるようになると思うのです。生徒指導を含め総合学習に力を入れていこうと確信しました。

時代(社会)の変化とともに刻々と子供の様子も変化していることが,現場にいて本当によく分かります。これからもPBLの理念を基とした教育改革の必要性を大きく感じ,実践の可能性を広げていくとともに,この夏のすてきな出会いをエネルギーに換え日々の教育活動に根気強く努めていきたいと思います。

 

リレーコラム「PBLと私」 2012.1.18

第18回 杉原 米和  京北学園白山高校副校長

生徒の「学びからの逃走」や「自己肯定感の低さ」が指摘されている。しかし、本当に生徒は学ぶ意欲がないのだろうか。私はむしろ、もっと教師の側が生徒の学びたい世界に耳を傾ければ、違う風景が見えてくるのではないかと思う。その窓を開けてくれたのがPBLである。

私にとってのPBLの魅力は、以下の通り。

学習意欲の向上

教師との連携ができる

教師の一方的授業の転換

生徒と教師の関係改善

実際の社会とのつながりが生まれる

学年を超えて、様々な学校の人的資源を活用できる

プレゼンテーション能力を磨くことができる

つまり、PBLを取り入れることは、学校の民主的教育の実現につながる。

本校は1908年に創立し、2002年に京北商業高校から京北学園白山高校に校名を変更し、2011年4月から東洋大学と合併した。もともと、創立者が同じ明治の哲学者、井上円了博士。円了先生は、教育の基礎に「哲学」を置いた。そして、学んだことを社会の改善に還元することを説かれた。

白山高校は、文系大学進学を目指す商業課程進学校(男子)である。「知識習得型から探究型の学びへの転換」「生徒が積極的に参加できる授業の構築」を目指して実践に取り組んでいる。 2001年より千葉大学との高大連携教育を実施し、2002年9月、上杉賢士教授からPBLを紹介していただいた。それが、本校とPBLとの出会いの始まりである。

白山高校は、「人間力」の育成を目指し、次の3点の力を育成したいと考えている。

自己学習能力〈探究型の学びの中で〉

コミュニケーション能力(協働活動を中心として)

プレゼン能力(自らの考えを適切に表現する中で)

この方針の実現に、テーマと目的を定め、その追求のプロセスを体験学習や問題解決学習によって構成するPBLの学びは有効である。

生徒は、1年次に3か月約20時間を充てて1個のプロジェクトに取り組む。そして、「白山プレゼンデー」としてクラスの代表者を決め、成果を市民や保護者の前でプレゼンテーションする。

上杉先生は、「学校で学んだことが暮らしに役立ち、暮らしの中で考えたことが学校で生きる。両者の溝は、プロジェクト学習などを通して生徒に伝えることで必ず埋まると確信します」と述べている。

プロジェクトのテーマは自由である。ちなみに、過去には次のようなテーマに取り組んだ。少年法、東京スカイツリーの経済効果、議員年金について、HP作成、対貧血、水で走る自動車、町の美化、サッカーの歴史を調べる、フルマラソンを完走するには、北海道自転車旅行の準備、パソコンの未来について、携帯電話について、簿記三級合格準備、部屋の害虫駆除、医者になるための準備プロジェクト・・・

様々な生徒の「希望」や「夢」に寄り添っていると、教師としての喜びを感じる。

 

リレーコラム「PBLと私」 2012.3.12

第19回  吉田敦子 前編 (ロサンゼルス在住・PBL米国視察通訳)

“お受験”でもしない限り、自分の住む地域にある小学校に行き、どの学校へ行っても、ほぼ同じ質の教育が受けらる – 日本で育ってそれが当たり前だと思って育った私には、アメリカの教育事情は驚くことの連続です。

2009年のPBL視察で訪れたダウンタウンにある高校の先生が、“この辺の地域の高校生のドロップアウト率は約半数に近い”という衝撃的な事を言っていました。そこは全米でも悪名高いロサンゼルス学校区です。

アメリカは住み分けがされていて、住む地域で人種や社会的な立場など大まかな判断はついてしまうと言っても過言ではないと思います。教育水準もそれに比例しています。私の住むPasadenaのような郊外になると、ダウンタウンとはまた違う人種構成や比率になります。公立校の人種構成はカリフォルニアという大都会の地域性もあり、どこもヒスパニック系の人達が半数を占めていますが、残りの人種構成は学校の特色と住むエリアによるもののようです。この中でも私の長男が通っているところは約9割が白人という、他に例を見ない学校です。API(Academic PerformanceIndex;学業成績指数; カリフォルニアの学校の学業成績の対前年比成長率を測定するテスト)スコアがすば抜けて高く、裕福な層の地域に学校があります。裕福層が多いので税金や寄付金など資金が潤沢にあり、学校への親の貢献度も非常に高く、優秀な先生も集まりやすい、そして州のテストで優秀な成績を上げている。こういう学校は、いくら州が経営難でも決して閉校されることがありません。子供たちにとっても働く教員たちにとっても理想的な好循環が生まれています。ここの学校に誰もが子供を送りたいと願っています。

どうやら他の地域でも一校だけずば抜けて優れた公立高校”Great Public School”があるのが典型的なパターンで、残りの学校は、“Not great but not so bad”か“Bad”に分かれるようです。誰もがこのGreat Public Schoolに子供を送りたい。でも、そこの地域に住むことができない限り、言い換えれば、そこでの生活を送る経済的余裕が無ければ子供を入学させる事はできません。中には、この地域に家族全員で住むような家を購入するか、借りる事は出来ないのでワンルームの部屋を借り、実際にはそこに住まずに住所だけを使って子供をここの学校に送っている人もいます。では“Not great but not so bad”な公立学校はどこなのか?教育に関心のある親たちは子供が入学する2年も前から学校に直接足を運び、ツアーに参加して一校一校回って選んで行きます。

それでも、選べるチャンスがあるだけまだいいのかもしれません。ダウンタウンのような劣悪な環境に住む子供たちは、そこに住むしかないから住んでいる状況で、“学校を選ぶ”なんていう事はできません。なぜなら、どこの学校に行ったとしても、そこの学校区には“ドロップアウト工場”(4割以上の学生が卒業していない学校のこと)と呼ばれるような学校しかないからです。そんな地域に住むしかないという家庭は、大体は両親ともに低賃金で長時間働き、学校への関心や貢献度は生活の中での優先順位は高くなく、そしていずれは子供たちが生きるためにお金を稼ぐことが優先で学校に行くことを止めてしまうという流れが典型的な形のようです。

あるアメリカの教育研究者が言っていました。”小学校から始まり、どこの中学に行き、どこの高校に行くかで、この先5年の間にどのくらいの学生がドロップアウトするのかがかなりの確率で予測できる“と。

1971年から経済価値の変化に当てはめてみると、アメリカは教育に費やすお金を一人の学生に対して4.300ドルから2倍以上の9,000ドルに増やしています。それにもかかわらず、Reading scoreは同じままですし、Mathにしても何もよくなっていません。

これをどうにかしようと、アメリカでNo Child Left Behindという法律が2001年に制定されました。目指すものは“読みと計算における100% の達成”です。これで学校側は資金が足りないから、人が足りないからということを言い訳にすることができなくなりました。生徒が必要なサポートは何が何でも与えなくてはいけません。言い換えれば、言い訳なしの“学力向上策”が求められたのです。

では、この法律を受けてアメリカの公立学校の教育はどう変わったのでしょうか?法律ができてから8年後に行われた調査の結果によると、全米で在籍している学年のレベルに達している子供たちは20~35%しかいないという結果でした。そして、2000以上の“ドロップアウト工場”がアメリカに存在しているという調査結果が出ているようです。

では、こうしてまともな公立学校に行けない子供たちはどうすれば良いのか。結局、その劣悪な環境の中から抜け出すことはできないのでしょうか。私立に送るお金が無い家、親にそれだけの

学力と時間が無い家は、ホームスクールもできません。もちろんそれができるのなら、公立学校にはさっさと見切りをつけているでしょう。

その“選ぶ権利も持てない子供たち”の望みがCharter schoolです。自分の住む地域にある公立学校に通っても十分な教育を受けられず、必要な学力も身に付きません。それを分かっていながら自分の子供を送り出すことは、親にとっては苦痛でしかありません。Charter schoolは一般の公立学校と同じ、しかも子供の住む場所に制限が無くどこからでも応募できます。成績や経歴は問われません。必要なのは“運”だけです。成功を収めているチャータースクールは全体の5分の1と言われていますが、そこへの入学は10倍、20倍と難関で常におびただしいほどのウエイティングリストが存在します。(次号に続く)

 

リレーコラム「PBLと私」 2012.5.26

第20回  吉田敦子 後編 (ロサンゼルス在住・PBL米国視察通訳)

 

収集中

 

 

リレーコラム「PBLと私」 2012.7. 25

第21回 笈川 博彰 (千葉大学教育学部4年生)

「井の中の蛙大海を知らず」という言葉があるが、アメリカに行くまでの私はまさにその言葉のとおりであった。ものを見る世界を広くするというのは、自分を大きく変える格好のきっかけであったのだろう。アメリカに行って、教育に対する見方が大きく変わった。今まで当たり前だと思っていたことが、国境を越え、外の世界に行った途端、あたり前ではなくなった。

ミネソタ州のヘンダーソンにある「新しい田舎の学校」と書かれた学校がある。そこでは学ぶことに楽しさを感じ、自分から一生懸命プロジェクトに取り組む子どもたちがいた。まぶしいくらいの輝く目をしながら、自ら学びに励む子どもたちばかりが通う学校は、はたして日本にあるのだろうか。学ぶことに対してとても積極的で、前向きな姿に、こちらは圧倒されざるをえない。ある種の恐ろしさを感じるほど、この学校の子たちはエネルギーに満ち溢れている。

このミネソタニューカントリースクールは、学習カリキュラムのほぼすべてにPBLを取り入れている。日本で見られるような一斉授業は一切行っていない。この子たちの姿を見たときに、今の日本の子どもたちもこんなふうに学びに取り組むことはできないものか、と思うようになった。

日本の公立学校の生徒と、ミネソタニューカントリースクールの生徒が同一内容の学力検査を行ったとき、おそらくほぼ同じか、ひょっとすると日本のほうが成績は良いだろう。しかし、学んだことを実践する力、学ぶことへのモチベーションは、ミネソタニューカントリースクールの生徒たちが圧倒するだろう。

日本の教育はすばらしい。細分化され、こと細かに指導する内容や注意点が明記された学習指導要領によって、日本中どこへ行っても同じ内容の教育が受けられる。その学校に通って勉強し

ている子どもたちはみな、賢く成長していくのだろうか?どうしたら日本でも、ミネソタニューカントリースクールの生徒のように、意欲にあふれる学習活動が展開できるのだろうか。

私は、将来教員を目指している。アメリカに行ったことで、おそらく私の人生は大きく変わっただろう。日本の制度の中で、ミネソタニューカントリースクールの生徒のような生徒を育てていくにはどうしたらよいのか、という課題をずっと自分のなかで問い続け、研究していくことになるだろう。私は、これからPBLとともに歩み、よりよい教育方法を模索していきたい。私とPBLの旅は、まだ始まったばかりである。

 

リレーコラム「PBLと私」 2012.9.1

第22回 藤原 和人 (千葉大学教育学部4年生)

その学校と出会ったのはまだ雪の残る今年3月であった。場所はミネソタ州ヘンダーソン。PBLのメッカ、ミネソタニューカントリースクール(以下MNCS)は私に多くの衝撃を与えてくれた。

日本の学校しか見たことのなかった私は、「本当にここが学校?」と言葉が出なかったのを今でも覚えている。アドバイザーのことを信頼し、自分から進んで学び、そして何より自信にあふれ、輝いた眼を持っている生徒たち。今まで日本の教育は世界トップレベルだと思っていた私の確信は一瞬にして疑問へと変わってしまった。自分の教育観を打ち砕かれ、まさに私

にとって最初のHistorical Momentであった。

その衝撃から半年、私は今年の8月の18日から21日にかけて千葉・仙台・東京で開催されたエドビジョン・セミナーにスタッフとして参加する機会をいただいた。スタッフとしての仕事もありすべての内容を見ることはできなかったが、本当に濃密な4日間であり、多くのことを学ばせて頂いた。その中でも私が一番印象に残っているのは仙台・尚絅学院での一幕である。アメリカからいらっしゃった、本場MNCSのアドバイザーの方が、「日本」の生徒に対してアドバイスをする場面があった。アメリカでアドバイザーが生徒にアドバイスをしているところは拝見させていただいたが、「日本の生徒」にアドバイスをするというのは初めて目の当たりにした。

PBLをどのような形で日本に取り入れていくのかということに対して、私ははっきりとした答えを見いだせないでいたが、今回の尚絅学院での一幕で見せた、生徒の輝いた表情は私にとって大

きなヒントとなった。まだPBLをどのように取り入れるのかという答えは出ていないが、私の中では初めてMNCSを見た時と同じくらいの衝撃であった。まさに私にとってはミネソタ以来、2回目のHistorical Momentであった。

2度のHistorical Momentを経て、私のPBLに対する期待はより大きなものへとなりつつある。また、この半年間でミネソタ訪問、PBLフェスタ、盛大発表会、米国視察報告会、そして今回のエドビジョン・セミナーと様々な経験をさせていただいたが、回を重ねるごとにPBLに対する私の理解は着実に深くなってきた。

私の「どのように日本にPBLを取り入れていくのか?」というプロジェクトはまだまだ始まったばかり。いつの日か、あの日MNCSで見たような、「自信にあふれ、輝いた眼を持っている生徒たち」を日本でも数多く育てたいという夢に向かって、一歩ずつではあるが進んでいきたいと思う。

 

リレーコラム「PBLと私」 2012.12.25

第23回  北村 健晃 (千葉大学教育学部3年生)

私がPBLと出会ったのは、大学1年の時である。上杉先生の授業を通してPBLの存在を知り、わくわくしたことを覚えている。

当時から「社会で生きていく力」とか「自律」といった言葉を体現するような教育はどのようなものだろうかと思っていた。PBLを知ったとき、この疑問に対する1つの答えを見つけた

ような気がしたのである。その後、大学2年生になった私は、幸運にもアメリカツアーに参加させていただくことができた。本場で見たPBLはかなり衝撃的だった。アドバイザーも生徒たちもいきいきと学校生活を送っていた。生徒が自分の学習を楽しいと思える環境が生まれており、とても羨ましく思えた。私も近い将来、生徒たちとこのような環境で生活できたら、どんなに幸せだろうかと思ったことである。

PBLは私にさまざまな視点を与えてくれた。アドバイザーと生徒は常に同じ方向を向いてなくてはいけないこと、強い個人が強い絆で結ばれている環境を作っていく必要があること、“HOPE”という考え方。私の考えには多かれ少なかれ、PBLの考え方が影響を与えていると思う。それほどに、私にとってあの環境は魅力的であった。

そして現在、私は大学3年生である。教育実習を終え、ほんの少しだが教育の現場を知ることができた。実習期間中、自分のことだけで精一杯だった私が、いつかあのアメリカで見た理

想的な環境を生徒たちと作り出せるかどうか分からない。正直自信はない。しかし、理想を追い続けなくては人生面白くないのかなと、昔から思っている。私はどのような教育をしたいのか。それを現実にする手立ては何なのか。どのようにすればPBLのエッセンスを取り入れることができるのか。PBLに触れることで何度も感じたあのわくわく感を信じて教育に携わっていきたい。

 

リレーコラム「PBLと私」 2013.2.19

第24回 今村 鮎美(愛光あけぼの保育園)

発達障害や特別支援教育について関心を持っていた私は、海外の特別支援教育を少しでも覗けたら…と思い、教育視察に参加させていただきました。

シンガポール、上海を経て、2012年ミネソタの教育視察で、私は初めてPBLと出会ったのです。

Minnesota New Country Schoolでは、Special Needsの子どもたちへの対応は難しくないか?という問いに、「各々のカリキュラムについて個別の対応をしているので大きな問題はない」との回答が返ってきました。そこには特別な支援の必要性の有無ではなく、子どもを個として受け止める姿勢がありました。

この考え方にこそが、個々の能力を伸ばすことが出来る理由だと感じました。

「伝統的な公立校に通う友だちと自分達とを比べてみて何か違いはあるか?」という生徒へのインタビューでも、 「私達は自分達のやり方(PBL)が気に入っているだけ。他のやり方が合う人はそれでいいんじゃないか。」 「違う学校(伝統的な公立校)に通っていても、同じテーンエイジャーだし、友だちとしてやっていくのに別に困ることもない」と、それぞれが違うということを当たり前として捕らえている姿勢がありました。

日本では、人と何かが違うことはあまりいい意味に捉えられない事も多いでしょう。そう考えると、この感覚が日本では理解しにくいのではないでしょうか。しかし、同時に日本が進めようとしている《特別支援教育》のゴールはここではないかという希望も持ったのです。

一方で、PBLが個々の違いを個として受け止める、と仮定するならば、画一的に全ての子ども達にPBLという教育法を与えようとすることには疑問を持ちました。一人ひとりの教育的ニ

ーズが当たり前だとするならば、「ONLY PBL」という図式は成り立たないからです。

それでも何か、全ての子ども達に伝えたい“何か”がMinnesota New Country Schoolにはありました。そして昨年の夏、“何か”を明確にした出来事。それがEdVisionsセミナー2012でした。来日した二人の講師の話を聞く中で、心を揺さぶられた部分。それは子どもの将来への希望を創りあげていく“HOPE”という考え方です。

今回のセミナーではその考え方を、チョコチップクッキーのレシピに例えて説明してくださいました。レシピにタバスコは必要ないのに、私達はなんと多くのタバスコを振りかけてしまっていることでしょう。

もし、子どもたちが、おいしいレシピを持つ教師の下で学んだら、おいしいチョコチップクッキーをアレンジして、ナッツを入れてみたり、アイスと食べるとさらにおいしいことに気づいたり、次の世代にその新しいレシピを伝えてくれるこが現れるかもしれません。そんな未来を私はいつの間にか描いてしまいました。そして、そんな未来にほんのちょっとでも役に立てたらいいな、と期待してしまうのです。このセミナーを通して、私自身、私なりの“HOPE”を掴みかけているのかもしれません。

 

リレーコラム「PBLと私」 2013. 5.3

第25回  江口 宗茂  (大阪国際大和田中学・高等学校校長)

大学卒業後、関西の新劇劇団員を3年ほど経験した。当時、役者としての年収が80万円ほど。こんな貧乏な人間も世の中に、そうはいるまい。夢を追うんだと力みかえって学校を出て、この有様。3年間でいろんなものを失った。ポケットに入れた100円玉を握り締め、劇団を後にしたとき、なぜか清々しい気分の自分がいた。

明日から、何をすべきか。パチンコ台でタバコをくゆらせ、考えた。取りあえずアルバイトで生計を立てようと、学習塾の講師になった。それから足掛け25年。生徒の成績を上げる、志望校に合格させるという使命を実現するプロを目指した。気が付けば家庭を持ち、息子も大きく成長していた。

25年経過したある日、これからの自分の生き方をもう一度、問い直した。このまま安定した暮らしで過ごすのか、それとも未だ知らぬ別世界に飛び込むのか。気が付けば、辞表を提出し、静かに自分で幕引きをしていた。これから先どうするのか、全く当てはなかった。パチンコ台でタバコをくゆらせ、考えた。取りあえず会社を作った。

旧知の人々が何人か声かけてくれた。声かけてくれた方に向いて歩いた。少しずつ声掛けてくれる人が増えてきた。この先どうなるか分からないけど、取りあえず自分を必要だと言ってくれる人のために働いた。気が付くと、予想以上の成果、結果が現れ、仕事先が増えていた。そんな矢先、学校長の依頼があった。

パチンコ台でタバコをくゆらせ、考えた。取りあえず、学校長をお引き受けすることにし、会社は人に譲った。そんなとき、「PBL」と出会った。「自らの興味・関心に従い課題を定め、課題解決のための計画を立て、自らの足と頭で検証し、その結果を世間に問う」。これって、私の生き方とどこか似てない?PBLを学びに行ったアメリカで、そんなことを思っていた。

生きるために必要なのは、好奇心と情熱と仲間。それさえあれば、何とかなる。これから先、人生をかけた「PBL」を自分はいくつ経験するのだろうか。そんなことをぼんやり考えていた。若手教員が今年度から校内でPBLの講座を始めた。嬉々として教室に向かう彼を見ながら、何か手助けできることはないか。いやいやその前に、自身の次の「PBL」は何?オマエは今、真剣に生きているか?校長室の椅子が、少しムズムズし出して来た。

 

リレーコラム「PBLと私」 2013.7.2

第26回 服部 由佳 (いいづな学園グリーン・ヒルズ小学校教諭)

今、私はグリーン・ヒルズ小学校で教員をしています。まさに、 “教員としての自分のあり方プロジェクト”の真っ最中です。

そのプロジェクトの概要を簡単に記述したいと思います。 私は教師になりたくて教育学部に入学しました。子どもたちに 何かを伝えたくてとか、教えたくてとかそういうことは何もなく、ただただ大好きな学校で働きたいと思ったからです。実際に大学の授業(発達論、教授法、教育心理学などなど)はあまりおもしろいとは感じることができず、本業(大学の授業にしっかりと出席し単位をとるということ)を疎かにし、地域づくり、子どもお菓子教室、子どもキャンプ、地元プロサッカーチームの巡回指導というような、学校教育ではない子ども教育の 活動にはまり、没頭する毎日でした。

そのような中、再履修した授業で「おもしろい!」と感じたのが上杉先生(現・グリーン・ヒルズ校長)の現代教職論で出会ったPBLでした。「そうそう、こういうことがやりたかったのよ、わたし!」と思ったのが始まりでした。そして、私の母校である上越市立大手町小学校で体験してきたような3びきの子ブタと過ごしたことや、高田のまち研究のこと、関川調査のことが蘇ってきて、総合学習をもっともっと勉強したいと思うようになりました。しかし、なかなか、学校教育に向き合うことができず、もやもや日々でした。

転機が起きたのが4年生の夏、プロジェクトがカリキュラムの中心となっていて、“自分で考え行動する”ということを理念に掲げているグリーン・ヒルズに見学に行って、「こういう学校おもしろい!このような学校で働きたい!」と感じたことでした。

その後、上杉先生率いるアメリカ学校視察に同行し、「学校ってこうでなくっちゃ!」と心動かされる連続でした。この視察で感じたことは、国の基準はあるもののこの地域でここの子どもたちのためにどのような教育ができるのかということを学校が主体性を持って考えしくみと内容を整えていること、教師と保護者が同じ方向を向いて子どもたちの成長を願っているということ、子どもたちが楽しみながら自分で考えながら学んでいるということでした。(これらのことは当然といえば当然のことですが…。)

ご縁あって、グリーン・ヒルズ小学校で教師をして4年目になりました。教師になって、目の前の子どもたちにどう向き合ったらいいのか分からなくなったこと、自分がなぜこの学校にいるのかが見えなくなったこともありました。しかし、子どもたちの毎日キラキラした目でモノやコトに真剣に向き合い、懸命に今を生きている姿に日々接し、もっとこの場所で成長したいと思うようになりました。大学の授業でピンとこなかった発達論、教授法、教育心理学などは、今、必要だから学んでいて、 学びたくてたまらないものだから学んでいて、教員になる前となった今とでは、価値が全く違うものになりました。(だからといって、あのときに少しでも触れていたから今があるわけですし、全く意味が無いとは思いませんが・・・。)

共有された目標(願い)を持って学校をつくっていこうとする同僚がいて、教師としてどう子どもたちと生活をつくり学びのある環境をつくっているのかを語り高め合える同志がいて、自分の課題にしっかりと向き合わせてくれるメンターがいて、そのおかげで私は、プロジェクトを進めることができているのだと思います。子ども理解、授業づくり課題は山ほどありますが、よき教師(=アドバイザー、ファシリテーター)になれるよう日々チャレンジしていきます。

グリーン・ヒルズもまだまだ発展途上で、今まさに“関係するすべての人々が参加してつくるしなやかなネットワーク(関係性)のなかで、一人ひとりの子どもが自分の頭で考え、自分の判断で行動できる(自律性)ように育つ子ども”という理念の学校づくりプロジェクトの真っ只中です。私たちが目指しているのは、ここに集う子どもたちのためのどこの学校のコピーでもない“グリーン・ヒルズ”作ることです。同じような願いをもつ仲間の方々と実践を共有し学び合いながらプロジェクトを 進めていけたらと思います。

プロジェクトに欠かせないもの「願い・目標・動機」と「仲間」だと実感する、今日この頃です。いままでの恵まれた出会いに感謝しつつ、今後もすてきな出会いの中でプロジェクトが進められることを楽しみにしています。その中で私は成長していきたいです。

 

リレーコラム「PBLと私」 2013.9. 5

第27回 青木 佑馬 (いいづな学園グリーン・ヒルズ中学校教諭)

形式的な挨拶で授業が始まり、一斉に教師の方に生徒は視線を送る。ノートを開き、黙々と板書を写す。こちらから投げかける発問に、お決まりの生徒が答える。あらかじめ想定したまとめをして授業を終える。一昨年まで勤めた公立学校での体験です。一見すると、落ちついた良い授業に見えるかもしれないけれど、生徒の目の輝きが「本物」でないことを私は常々痛感していました。その最たる要因が私自身の指導力不足にあることに疑いの余地はありませんでした。しかし、それと同時に学校教育のあり方そのものにも何か違和感を感じていました。もっと子どもの意欲を引き出すことはできないか。教室という閉鎖的な空間で、上記のように教師が生徒に何かを教え込むスタイルにほとんど意義を見出せなくなっていたのです。そんなモヤモヤした気持ちでいた時に興味を持ったのが「プロジェクト・ベース学習(PBL)」です。本格的に研究し始めるのはもう少し後になってからですが、二年前に公立学校を退職し、プロジェクトを教育活動の中心に据えるグリーン・ヒルズ中学校に赴任することになりました。

ところが、一年目は散々たる結果でした。プロジェクトという言葉だけが自分の中で一人歩きし、子どもにいわば「やらせっ放し」でした。何でもかんでも子どもが企画すればプロジェクトになる、それが子どもの自発性を育てているという満足感さえありました。しかし、子どもたちにどのような力をつけるのかという評価の観点がまるで抜け落ちていたのです。子どもたちから学期末に「結局、このプロジェクトのゴールって何だったっけ」と言われる始末。上杉校長の言葉を借りれば「なんちゃってプロジェクト」が横行していたのです。

プロジェクト・ベース学習が、私が感じていた違和感を変革する教育方法であることは確信しています。なぜなら、PBLが提唱する「アドバイザーとしての教師」という考えに深く共感するからです。最初から答えを教えるために子どもと「対面する」のではなく、世の中のあらゆる出来事に対し「なぜ」と問いを立て、その解決に向けて子どもと共に学び合う「同行する」教師になるために、理論的にも体験的にももっともっと研究が必要です。「なんちゃってプロジェクト」を何としても打開しなくてはなりません。

縁あって、今回PBL米国視察ツアーに参加させて頂くことになりました。本場のPBLを体感する絶好のチャンス!!本物のアドバイザーたちから多くを吸収してきたいと思います。関係者の皆様、何卒宜しくお願い致します。

 

リレーコラム「PBLと私」 2013.12.4

第28回 尾形 望 (盛岡大学文学部 児童教育学科4年)

私は昔から、学校が嫌いでした。学校というよりも、先生や勉強が嫌いだったのかもしれません。毎日みんなと全く同じことをすることや、やりたくもないことをやらされること、やる気になった瞬間に終わりを告げるチャイムが鳴ることが本当に嫌でした。そんな学校・勉強嫌いの私が、来年から大学院に進学し、他の人よりも長く学生でいることに誰よりも驚いたのは、私の両親であることは間違いありません。学校に行くということ、勉強というものへの意識が180度変わったのは、大学2年生の時にPBLと出会ったことがきっかけでした。

「そうだ、学校の先生になろう。」もともと学校嫌いだった私ですが、ボランティアを通して出会った子どもたちに、学校の中でもいきいきと輝ける居場所があればいい、そういう環境を私が作りたいという思いから、教師という職業を目指そうと心に決めました。しかし、大学では自分がこれまで

受けてきた教育(つまり自分にとって苦痛であるもの)についてしか学べず、教師というものに疑問を抱いていた時期に、市川先生の講義の中でPBLと出会いました。プロジェクターに映し出される外国の子どもたちの勉強する様子は、キラキラと輝いて見えました。それと同時にどこか自分には関係ないことのようにも思っていました。アメリカ行きの話を聞いたとき『行ってみたい。でも学校の授業もあるし、お金のこともある…』と、とても消極的に考えていたことを今でも覚えています。市川先生から、「この金額を高いと思うか、安いと思うかは、その人が何を得て来るか次第だよね。」と言われた時、アメリカに行くことを決意しました。あれから1年半、気が付けばオランダ・デンマークに2度目のアメリカツアーと、計3回の海外視察参加となりました。私は今、大学生になって初めて、自らのために勉強をする、自分の学びに自分で責任を持つということを実感しています。これまで視察した数々の学校で出会った、プロジェクトに自信と誇りを持っている子どもたちから刺激を受け、負けるものかと必死になっています。

私が身を持って体験している、学習と向き合うということを、今度はこれから出会う子どもたちにもそのきっかけを提供していきたいと思っています。そのためには、どんな課題があるのか、それを解決させるためには、どんな手立てがあるのか、私の学びはまだまだ終わりそうにありません。

 

リレーコラム「PBLと私」 2014.1.1

第29回 佐藤 圭亮 (千葉大学大学院 教育学研究科 学生)

大学1年時の上杉先生の授業で初めて耳にしたPBL。すぐにピンときて飛びついた友人がいる一方、私は恥ずかしながら「こういうことをやっている国や学校もあるんだな」程度の認識でしかなかったように思います。そんな私の中にPBLが再び浮かんできたのは、大学院生になった今年度でした(この経緯についてはアメリカツアーの報告書に書いたので、そちらに譲りたいと思います)。友人や水谷さんからもお誘いをいただき、2013年10~11月にかけて、初めてアメリカツアーに参加することになりました。

実際に行ってみて、私の中で以前よりクリアになったことがあります。それは今の私の原点とも言える中学2年時の経験です。当時私はとても受身な人間でした。勉強で躓くことはほとんどありませんでしたが、それは先生の言ったことに従っていればよかったおかげです。例えば作文や夏休みの自由研究など、自分で考えて取り組まなければならないものは大の苦手でした。中学2年時の担任の先生はそれを見抜いてか、私に「何か人前に立ってみんなを引っ張っていくようなことをやってごらん」と声をかけてくれました。そして私は合唱祭の指揮者を務めることになります。

ここで私は初めて「考える」ことを経験します。楽曲の歌詞に込められた意味、クラスをまとめるにはどうしたらいいか等、日々いろんなことを考え続けました。先生は「お前がこうだと思ったことは、私を気にせずどんどん実行しなさい。その代わり、同時に自分の言動に責任を負う覚悟を持つことも大切だよ。」と言ってくれました。一人の人間として、私を信頼してくれたのです。また、毎日日記を提出するのがクラスのルールだったので、私は日々その日の取り組みを振り返り感じたことを記していました。クラスメイトには直接言いにくいような悩みを書くこともありました。それに対しアドバイスをくれる先生に対する信頼が、日々大きくなっていったことを覚えています。

後になって振り返ると、この経験にはいくつかのポイントがあったと思います。自分で問題意識を持って考えること、先生との信頼関係、自己への責任、日々の振り返り・・・。これらは今回私がツアーで学校を視察してポイントだと思ったことと見事に一致していました。

私は運良く、PBLのような学びを経験することができたと言えるのかもしれません。しかし、それは運に恵まれた人だけが経験する機会であってはならないものだと思います。現状の日本の教育では、それは運になってしまうでしょう。PBLは運ではなく必然として、全ての子どもたちが成長のきっかけを掴むことのできる可能性を持っている。そう感じたアメリカツアーでした。

お読みいただいた皆様、どうもありがとうございました。

 

リレーコラム「PBLと私」 2014.5.10

第30回 直江 鉄平 (盛岡大学文学部児童教育学科4年)

小学校教諭を目指して大学に入学し、私は子どもとかかわる機会を求めて、小学校での教育ボランティアに多く参加してきた。その際に出会った子どもたちは「自分のことを知ってもらいたい!」という気持ちに溢れており、自分の気に入りの遊びや友達とのこと、習い事などについて生き生きと語ってくれた。中には恥ずかしさや遠慮を見せる子どももいたが、言葉の端々からうかがえる気持ちは共通していたと言える。しかし、彼らの関心はたいてい学習の外にあり、子どもの関心を学習へと向けることが大人にとっての大きな課題であった。私自身も、どうしたら子どもが学習に関心をもってくれるかを考えながらボランティア活動を行ってきた。

その後、PBL米国視察2013に参加し、アメリカのチャータースクールで実際にPBLに取り組む子どもを観察する機会を得ることができた。そこで出会った子どもたちは、私が教育ボランティアを通して出会った子どもの姿と少し違っていた。彼らは自分の興味・関心を学びの出発点としてプロジェクトを展開しており、自分の学びについて生き生きと語ってくれた。このように、自身の興味・関心にもとづいて学習したことについて語る子どもの姿を見た私は、これまで見てきた教育とPBLとの大きな違いに気がついた。これまで見てきた教育が、大人の教えたいことに子どもの興味・関心を向けようとするものであったのに対して、PBLでは子どもの興味・関心自体が学習の出発点となっていたと言える。

私は今、自分が日本の学校で出会った子どもが、自分の興味・関心を出発点として学んでいくことはできないかと考えている。子どもたちが自分の知りたいことを見つけ、学ぶ姿を見られるように、大人はどのようにかかわることができるかを考え、これからのボランティア活動で実践したいところである。

PBLの最大の特徴は、子ども自身が学びの主役であることだと、私は捉えている。学びの主役となった子どもは、大人の教えたいことをやらされるのではなく、自身の興味・関心にもとづいて学ぶため、大人に教え込まれるまでもなく自分自身で学んでいくことができるだろう。

 

リレーコラム「PBLと私」 2014.7.16

第31回 秋田 咲 (名古屋市立名東高等学校国際英語科1年)

グリーン・ヒルズ中学校を卒業して四ヶ月が過ぎた。PBLを通した学習を大いに生かして決めた進路で、私の新しい学びの日々が始まっている。公立高校に進学した私は、今、いわゆる一般校の学習法とグリーン・ヒルズが提供してくれていたPBLの違いを実感する毎日だ。

毎日私が受けている授業では時間の99%教員が話をしている。一見教員がいなければ授業が進まないようにも思えるが、9割は教科書をみればわかることだ。先生方は考える前に答えを与えながら、自ら考える力がついていないと嘆いているから驚きである。何年もこのようなインプットだけをしてきたら、アウトプットが苦手になるのは当然だ。しかし、やる意味を深く考えず、黙々と目の前の勉強に取り組み成果を出すというのが大切だというのも理解できる。それは将来、社会に出て企業などに入ったときに役立つ力であるはずだからだ。

一方、PBLでは、テーマ設定からそれの追究、目標達成までを必然的に自ら動かなければならない。自分でやってみて、困ったことがあればアドバイスを求める。達成の基準は常に生徒自身にある。やりたいことが見つからないと難しい部分もあるが、やりたい学びができる喜びは、それに気づけば自ら学ぶ力に変わっていく。実際、グリーン・ヒルズでの私がそうであったと思う。新しいことを知るということが、楽しいと思えるようになっていったからだ。なにも強制されたことはないが、PBLによって自ら学び、それを積極的に発信する力は大いに鍛えられたと思う。強調したいことは、それに苦痛が伴ったことは一度もないということである。いつも夢中になってやっていただけなのだ。

PBLは、テストがある、教師が怒る、などといった外発的で強迫的な理由からではなく、これを深く知りたい!という積極的な学習のあるべき姿を私に教えてくれた。私の学習へのモチベーション

が大きく変わったように、多くの生徒がPBLを経験できるといいと心から思う。私も一生懸命自ら学び続けていきたい。

 

リレーコラム「PBLと私」 2014.11.23

第32回 比田井 妙佳 (いいづな学園グリーン・ヒルズ小学校教諭)

私がグリーン・ヒルズ小学校に勤め始めて4年目に入りました。今回、PBL米国視察ツアーに参加する機会をいただき、改めて「プロジェクト・ベース学習(PBL)」への理解を深めることができましたし、これからグリーン・ヒルズでどんな実践をしていたらいいのか挑戦していく気持ちを強くしました。

視察を通して強く感じたのは、どの学校の先生たちも子どもたちの学びを支える環境をどう整えるか、学校全体が一丸となって取り組んでいた点です。

今回の訪問校は小学校から高校まで様々でしたが、例えば小学校卒業時の子ども達の姿はどうあったらいいか、高校卒業時にはどんな人に育っていたらいいのかが、各学年段階での授業形態やPBL実践に反映されているのがよくわかりました。

我がグリーン・ヒルズも同様に、学校全体を整えている途上にあります。教師同士が互いの授業を参観する機会ももっと必要ですし、PBLへの理解を深めて行くことも大切です。視察から帰ってすぐ、上杉校長は“PBLウォール”(クラスで取り組んでいるプロジェクトの経過を教室に掲示したもの)とNeed to know(そのプロジェクトを通して学ぶ必要があること)の写真と共に、今回の訪問校で目にしたPBLの実践を報告されました。「子どもたちはプロジェクトを通して何を学ぶのか」先日も職員の間で議論の必要を感じた重要な点です。どう実践していくか対話を重ねていくことと同時に、クラスをもつ授業者である私は、できるところから始めてみようと思っています。

今回の視察でご一緒したみなさん、また、PBLに携わるみなさん。ぜひグリーン・ヒルズに足を運んでください。グリーン・ヒルズに関心を持ち続けてください。

今年度、私は5・6年生の担任をしています。個性豊かな10人との生活に奮闘する毎日です。4月、教室に全員集まるまでに時間が必要だった子どもたちも、今では(特にプロジェクトの時間には)全員顔を合わせて、声をかけ合って活動を進められるようになりました。私たちのプロジェクトは、子ども達の関係性を深めるものとして適していたか、自律性を育むものになっていたか、子どもたちは何を学んだのか、またその機会は十分だったか。丁寧にふり返り、PBL実践者として、「自分の心と頭で考え、自分の判断で行動できる」子どもの育ちを支える担任として、より一

層努力し、自分も成長していきたいです。

 

リレーコラム「PBLと私」 2015.4.15

第33回 小泉 美里 (星槎国際高校沖縄学習センター)

私がPBLという言葉を知ったのはほんの1年前で、沖縄県立芸術大学 大学院染織専修を修了し、教師として働くことになった星槎国際高等学校 沖縄学習センターでの授業でした。そこで実際に生徒が楽しそうにプロジェクトを進めている様子を見て、こんな学習方法もあるんだなと驚き、それとともに羨ましいなと感じました。なぜなら、私が高校生の時は、先生が黒板に板書しそれをノートに書き写すといった先生が主となって進めるものでした。

しかし、PBLでは生徒が主体となって進めていきます。自分で学ぶ内容を決め、スケジュールを組んで進めていく。時には取材に行き、またある時には現地調査を行うなど、様々な取り組みを行い、いろいろな経験を積むことができる。高校生のうちからこのような学びができると、進学あるいは就職した際、とても役立つのではないかと感じたからです。

PBLについて、夏休みに講座を受講させていただいたり、昨年10月には米国視察に行かせていただきました。そこで、PBLを初めて行った学校であるミネソタニューカントリースクールを訪れ、在校生や前校長先生からお話を聞かせていただきました。日本と違い1階建て、教室という境目が少なく広々としたスペースで学年や年齢の壁も無くプロジェクトを進めている生徒達を見て、学ぶ環境を整えることも大切だと感じました。また、前校長先生とのお話から、生徒とたくさん話をしてお互いのことを理解し、尊敬し合うことが大事だと学びました。

昨年1年間はPBLについて学ぶ機会が多く、そこで得たものを生徒たちにどう生かせるか、これからも試行錯誤を重ね、自分なりにPBLを生かした授業や取り組みができるよう頑張っていこ

うと思います。

 

リレーコラム「PBLと私」 2015.7.7

第34回 広石英記  (東京電機大学)

私は、東京電機大学という理工系大学で教養教育と教職課程を担当しています。今までに理科、数学、情報、工業の中学校、高等学校の先生を200名以上、社会に送り出してきました。そんな私がPBLに初めて出会ったのは、教育思想・哲学の分野でした。

私は、ずっと日本の標準的発達(生徒全員が、同じタイミングで同じ学習内容を習得すべき)を前提とした学習指導要領や学年制というシステムとそれを表面上は保証している一斉教授という教育方法に強い疑問を持っていました。なぜ、個人の興味・関心は、学校で尊重されないのか、発達のタイミングは個々人で異なることは明らかなのに、(落ちこぼしや浮きこぼしを必然的に生んでしまう)一斉教授はなぜ改善されないのか、といった疑問です。結果平等志向が強く、同調圧力が強い日本の文化風土では、「がんばりましょう。がんばれば、みんなできます」という無茶苦茶な要求が、先生方の善意のもとに繰り返されています。そして、がんばってもできない子には、「もっとがんばりましょう」という烙印が押されてしまいます。私の想像では、学校で、一番がんばっている子どもたちが、「もっとがんばりましょう」の判子を一番多くもらっているのが現状でしょう。

失敗を許されない場所、できるまでがんばり続けなければならない場所として学校があるのであれば、学校は楽しい場所ではなくなります。学校は、失敗しても良い場所、みんなと同じではなく、自分の興味を自分のペースで深めてよい場所ではないか、という想いをずっと抱いていました。そんな時に、出会ったの「社会構成主義」という哲学的立場です。この立場では、従来、学校教育が前提としていた普遍的で不変的な真理は客観的に存在するという立場を取りません。そうではなくて、真理という確かな知識は、客観的には存在せず、みんなが話し合って「これをとりあえず正しいこととしよう」という暫定的な合意を真理とよぶという立場を取ります。インターネットの辞書として多くの人が使っているウイキペディアも学会での学説の更新なども、社会構成主義的な営みといえるでしょう。

「変わらない真理などない」という社会構成主義の考え方は、一見、極端な相対主義であり、ニヒリズム(全ては無価値であると諦める)を招きそうですが、「だからこそ、みんなで合意できる真理を創っていこう」という楽観的な考え方とセットになっています。このみんなで前向きに創っていこうという考え方は、教育の場で様々な示唆を与えていると思っています。例えば、以下のような可能性を教育の世界で広げてくれると考えます。

  1. 学習は、既にある知識を個人が頭に詰め込むことではなくて、周りの道具や仲間との相互
  2. 作用を通じて、みんなで創っていく(再構成)ことである。だから、貯めこんだ知識を競争する必要はなく、知恵を出し合って協働することが学習となる。
  3. みんなが同じ客観的な知識を溜め込むことが学習ではない。自らが創りたい(再構成)知識を、自らが主体的に自分のペースで仲間と共に学んでいくことが、学習の自然な姿である。
  4. 学校生活でのルール作りも、先生から与えられる他律的なものではなくて、みんなで話し合って合意して創っていく自律的なものである。
  5. 仲間と共に、何かを創っていく学びは、そのまま異なる人々との共生という生き方の見識を体験的に学ぶことができる。その意味で、グローバル社会における民主的な市民教育の可能性を持っている。

このような考えの下に、2000年頃から、構成主義的な学びのあり方を学問的に研究してきました。最初は、「意味生成の自由な学び」という考え方のもとに、「ワークショップ」という学びの形態の意義を考えていました。ただ、「持ちよる問題意識」や「言語化する基礎知識」を前提としたワークショップは、大人の学びであり、その創造性は認めるものの、初等中等教育にそのままの形態で持ち込むことは困難です。そんな折に、出会ったのがプロジェクト学習という学びのあり方でした。

アドバイザー(ファシリィテーター)の厚い支援のもとで、主体的・自律的に自らが興味・関心を持つ分野に専心的に取り組むプロジェクト学習は、社会構成主義的な、学びの創造性を担保しつつも、その学習活動の中に「問題意識を深める手助け」「プロジェクトを推進するための基礎的知識を習得する学習」「自らの学びを自己評価し、自己調整する機会」などを丁寧に織り込んであります。ワークショップでは、見過ごされがちな「学習者の成長」を目標とする教育的な助成の仕組みがきめ細かに考えられているのです。

プロジェクト学習を個人的に追及する過程で、エドビジョン型PBLを知るとともに日本PBL研究所の存在を知り、一昨年、グリーン・ヒルズで行われたPBLサマーセミナー2013 から参加させていただきました。そして、あっという間に上杉先生のファンになり、参加を重ねるうちにPBLへの思いも深まり、現在では、この研究所の理事も勤めさせていただくようになりました。

6月のアドバイザー養成講座でお話しましたが、現在、中学校、高等学校でアクティブラーニングが、トップダウンで推進されようとしています。残念ながら、日本の教育改革は、現場からのボトムアップの教育改革というよりも、全体的に見ればトップダウンの強制力でなされることが圧倒的に多いようです。その意味では、今後日本の多くの学校で、表面上は教育行政に追従する形でアクティブラーニングを装った「なんちゃって・プロジェクト」が大量生産されるおそれもあります。

だからこそ、アクティブラーニングの進化形態であるエドビジョン型PBLの知見や経験を積みかさねてきた本研究所の存在価値は、今後ますます高まるといえます。長年の間、本物の学びを真摯に追求し、啓蒙してきた本研究所の知的な財産の本領が発揮される時代が、やっと始まったといえるのかもしれません。

 

 

リレーコラム「PBLと私」 2015.11.20

第35回 比嘉 貴文 (星槎国際高校沖縄学習センターセンター長)

14年前、教職に就くにあたり「教育って何だろう?」「学習って?」「生きる力とは何だろう?」と毎日のように考えていたことを思い出します。もちろん現在も自問自答しながらの毎日ではありますが。

前任校では現代社会や政治・経済の授業を担当してきました。スポーツをするために入学したクラスでは通常の授業をやっても聞いておらず、スポーツと関係あるのか?という表情をしていました。大学進学のためのクラスでは受験に必要な事柄が重要視され、先生これセンター試験にでますか?という質問を度々されました。もちろん私自身も受験対策を経験しておりますので、言いたい事は理解できるのですが何か違和感を覚えました。

そこから現在の学校に勤めました。学習は全く苦手でも、とても大工仕事が上手な生徒、運動は苦手でもゲームが得意な生徒、やんちゃそうに見えるけどとても気遣いができる生徒など個性が溢れる多種多様な生徒が目の前にいました。卒業するために入学している生徒へ、学習の必要性を感じてもらうには、今以上になぜ学ぶのか?ということを伝えなければいけないと痛感しました。

そこで、本校のPBLである「卒業ゼミ」がスタートしました。当初はPBLと呼べる程、体系化された取り組みではありませんでしたが最初の一歩でした。数名のグループで実施するところ、1名で実施するところなど様々でしたが、本人たちの社会的自立を目的に置いたとき、仲間と協力し得手不得手を補い合い、対話を通して生徒自身の答えを見つけ出す事が重要なのではないかと思いました。民主主義の歴史を知ること、三権分立を知る事だけではく、知った上でどう課題を見つけ改善していくのか?という活用とそのための対話が重要であることが分かりました。

最初の一歩から今年で11年目になります。その中で一度、意欲の低下した生徒の意欲が向上したり、仲良しグループがお互いに課題を見つけ改善していく姿、授業以外の時間に集まって論文を書いている姿など一定の効果は現れているのではないかと感じています。その中でも卒業に5年かかりましたが、難関の受験を乗り越え就職した生徒は、「PBLを通して仲間に支えられた、その支えてくれた人たちを裏切る事はできないので、受験勉強についていくことは難しかったが諦める事はできなかった。」と言っていました。

もし、前任校でこのような事ができれば、スポーツを切り口に現代社会や政治・経済に取り組み、受験が終われば忘れてしまう知識ではなく、大学入学以降も活かせる知識と、受験から得られ

る力に重点を置いた授業ができたのではないかと思います。

子ども達が求めていた学習の一つの形としてPBLはあり、今後も研究していきたいと考えています。何より、子どもたちとPBLをすることにより、新しい発見、出会いが多くなります。私

自身が一番成長させられている気がします。フィールドは学校の中ではなく社会なので、これからももっと子どもたちと社会の一員として共に学ぶ事を楽しんで行きたいと思います。

 

リレーコラム「PBLと私」 2016.7.5

第36回 安 修平 ~PBLとの出会いと再会~(株式会社みくに出版代表取締役)

◆PBL、上杉先生との出会い(2007年3月14日)

私は、みくに出版という出版社で働いています。みくに出版は、中学受験のための進学塾・日能研のグループ会社で主に小学生向けの問題集など教材を作っている会社です。もしかすると、課題解決型学習とはまったく反対のベクトルをもった知識・技能重視、暗記、くり返し学習のドリルを作っている会社だと思われるかもしれません。実はそうでもないのですが、かといってもちろん計算問題集なども販売しています。どちらにしてPBLとはこれまではあまり接点のない会社であることは間違いないでしょう。そんな会社にいる私が、なぜPBLと縁があるのか。それは9年余り前のある偶然がきっかけでした。

2004年4月、私の長男(以後、Uとします)が東京・文京区にある京北白山高校に入学しました。中学時代、勉強にも部活にも熱が入らなかったUには、高校進学の選択肢があまりありませんでした。とりあえずは地元の都立高校を志望することにして、いわゆる「すべり止め」としてどこかよい私立高校がないかと探したところ紹介されたのが、当時、川合正先生が校長を

されていた京北白山高校でした。親子で学校を訪問して、川合先生から「都立に失敗したら、お

いで。がんばって!」と言われたUは、どうしたわけか都立高校に合格したにもかかわらず京北白山高校に入学。今思えば学校の先生、それも校長先生に親身に声をかけられたのが嬉しかったのでしょう。

その後は、とくに問題もなく通学をし、私もあまり学校のことを考えずにいたところ卒業間近の2007年3月、川合先生からPBL授業の優秀作(?)にUが選ばれ、発表会がありますと連絡をいただきました。へえ、と思い、仕事の合間に見学。Uは「伝統芸能花祭りについて」をテーマに、最後は衣装をつけて踊りまで披露しました。あまり目立ちたがらないUがみんなの前で踊ったのですから、相当驚きました。

ここまで長々書いてきましたが、その発表の指導をしていただいたのが、当時、千葉大学教育学部教授だった上杉賢士先生でした。上杉先生には講評のなかでUの発表を大変評価していた

だき、終了後、お礼を申し上げ少し言葉を交わしたのが、PBLとの出会いであり、上杉先生との出会いでもありました。研究紀要などもいただいたと思います。

いまふり返ってみると、この時期は、上杉先生にとって高校という場で本格的にPBLに取り組んだごく初期の頃だったようです。京北白山高校の先生方も、新しい教育スタイルを作ろうと、とても熱心だったことを憶えています。

◆そして、PBL、上杉先生との再会(2016年6月18日)

今年の6月18日の日本PBL研究所設立10周年記念フォーラムで、PBLと上杉先生に再会しました。え、その間はまったくなにもなかったのですか? と聞かれれば、そのとおりですと言うほかありません。9年と3か月ぶりに上杉先生と再会しました。

この10年ほどをふり返ると教育や受験の世界はどんどんと変化しています。大学入試改革、小学校にも英語、電子教科書などなど、トピックには事欠きません。さらに昨年からはアクティブラーニングが世を挙げてキーワードとなっています。それと並行して私の仕事の分野も、環境教育、体験学習、災害教育などの分野に広がり、最近ではアクティブラーニングのセミナーや新刊の企画などを手がけるようになっています。こうした動きのなかで、学校の枠を超えた中高の先生方との勉強会、研究会などにもいくつか参加するようになりました。

そのひとつの勉強会で、児浦良裕先生(聖学院中高校)とご一緒したのは、昨年の夏ごろだったと思います(この時点では、児浦先生がPBLの実践者であるとは知りませんでした)。勉強会の有力なツールはSNS(ソーシャルネットワークサービス)で、とくにフェイスブックがかなり活用されています。そして、この5月の児浦先生のフェイスブックの投稿を見るとPBL研究所の設立10周年記念フォーラムが紹介されています。上杉先生のお名前も出てきます。「あら、これは京北白山で10年くらい前に見たPBLと、同じもの?」そこで京北白山での発表会のことをコメント欄に書いたところ、上杉先生からもお返事をいただき、6月18日のシンポジウム参加、さらには勢いで懇親会までお邪魔するということになりました。

webが発達して、なかんずくフェイスブックやLINEなどのSNSの発展により人と人との関係が変化していると言われますが、上杉先生との再会、PBLとの再会であらためてネット社会の「力」を感じました。

このように、私は実は上杉先生ともPBLとも9年余りで2回しか出会っていません。そんな私がメルマガに原稿を書くのは恐縮至極なのですが、いま多くの中高の先生方とアクティブラー

ニングやコーチングのセミナーなどを進めているなかで、PBLの思想や手法は、新しい教育スタイルと、実はとても親和性が高いのではないかと思います。

この時期に再び、PBLと出会ったのもなにかの導きかもしれません。この機会を生かし、出版やセミナーなどを通じて、教育や学校が素晴らしいものになるよう発展、進化していくお手伝いができればと思います。

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